グレープフルーツムーンの2ndCD,「HOW LONG」。歌詞カードは付いていますが、ライナーノーツというのを紙面の都合上、載せることが出来ませんでした。その代わりにここに載せることにしました。皆様、CDを聴かれるうえの参考としてお読みください。
GRAPEFRUIT MOON「HOW LONG」
2005年3月、マザーシップスタジオでリズム録りから始まったレコーディング。その日は3曲の録音の予定でしたが、思うようにうまくいかず、メンバー一同気まずい雰囲気の中、結局1曲しか録ることができませんでした。それが象徴するようにレコーディングはかなりの苦労の連続でありました。メンバーのスケジュール調整はもちろんのこと、個人的には「群発性頭痛」の発症で1ヶ月半の中断、そのあとボーカルが上ずりっぱなし(僕は441HZ病と言っていました)になったりと、実に11月まで8ヶ月もかかってしまいました。今回のアルバムは僕とメンバーの執念(または怨念)の結晶です。
楽曲解説
1.虹 (2000)
虹は太陽とほぼ反対側に出現します。光の方へ進んで振り返ると虹が見えるという状況をイメージしてつくりました。世の中は絶えず流れてゆく。僕のまわりも例外でなく、また僕自身もそうでなくてはならない。古き良き時代の弱さへの決別をメッセージとして込めた曲です。ちなみに「同じ夢追いかけた歌唄いも~」のくだりは、僕の友人が「俺のことか~!?」と怒っているみたいですけれど決してそうではないです。また、ジャクソン ブラウンの2002年のアルバム「THE NAKED RIDE HOME」の中に「About My Imagination」という曲があるのですが、出だしがよく似てます。でも僕のほうが1年以上早く作っていましたから盗作ではないですよ~。
2.孤独の旅路 (2000)
とらえどころのない歌詞です。
一見、悲観的でなげやりなラブソングですが、どんなに絶望してもまだ僕は生きてるよ、命まではとられることはない、ということを言いたかったというところがあります。まあ今の日本では精神的、物理的にどんなに苦しんでも生きてる限りチャンスはあるということでしょうか。曲タイトルは最後まで思い浮かばなかったので、ニール ヤングの「Heart of Gold」の日本での曲名を拝借しました。サウンド的な特徴としてはこのアルバムで唯一ピアノでなくグラビネットの音を使用しています。サビのコーラス、単純なようですが高い方のパートは意外とむずかしいんですよ。
3.HOW LONG(2002)
別名「木屋町朝の歌」。最近、朝までやっているBarが何軒かあります。朝方まで飲んでいる人は大抵Barのスタッフ、ホステスさん、フリーターの売れないミュージシャンなどサラリーマンのように一般的なレールに乗らなかった、または乗りそこなった濃いめの人たちです。木屋町から河原町通へ出て御池通を西へ歩いていると出勤途中の人々に出会います。自分自身、朝日が背中に照りつけて全身溶けそうになりながら、玉手箱を開けたような状態になっていることに気づいてしまいますが、「まあ自分で選んだ道だから仕方ないや。」、こう思いながら家に帰るのです。
4.夕暮れの丘(1995)
僕の祖父は結構エライ人だったのですが、僕にはやさしく、よく遊びに連れて行ってもらいました。その中でも大文字山は何度も行ったのでよく憶えています。中腹くらいに砂防ダムがあり、そこでカニを獲って遊んだあと、見晴らしのいい展望スポットへ行くのがお決まりのコースでした。
蛇足ですが僕の名前、「邦夫」は、僕が生まれた時、祖父がちょうど海外視察旅行というやつに行っていたそうで、その滞在国だった「ソビエト連邦」から邦をとったらしい。もしイギリスにいる時なら「英夫」?アメリカなら「米夫」?フランスなら「佛夫」?これはいやだな・・・。
5.ひとりの夜に(2003)
木屋町で知り合った二十歳の青年がいました。彼はひょうきんでいつもその場のムードメーカーとなっていました。僕のライブにもよく来てくれて「MY HOME TOWN」をよく口ずさんでくれていました。彼が亡くなってすぐの2003年4月28日、僕はジャクソン ブラウンのコンサートのために大阪へ行きました。かなり早く着いたのでフェスティバルホール周辺をうろついたあと、夕日が差し込む中ノ島公園のベンチに座って一息ついた時、この曲を思いついたのでした。
6.いつかはきっと(2001)
GFMにはリフのある曲がなかったのでそんな曲を作ってみようと思いました。ブルース ホンズビーのデジタル的なサウンドに触発されて作ってみたのですが、ほとんど原型をとどめていません。ここではとってもアナログです。歌詞の出だしは暴力的な雰囲気がありますが、結局サビに来ていい人になってしまってます。最後の河原田氏のギターソロはほとんどオールマンブラザースバンドです。
7.途方に暮れて(2003)
一言で言うと軟弱な男のラブソング。前作、「ムーンライトララバイ」に通じるものがありますが、ただこの恋は成就することはないでしょう。サウンド的にはキャロルキングの「Jazz Man」のようなベタな8ビートで考えていたのですが、ベースの長谷川氏がことごとくハネ系のベースを弾くので、雰囲気ががらっと変わってしまいました。最初は少々不満でしたが、いまではこれもアリかなと思っています。
8.風の歌(2004)
知人が言ったことですが、TV番組「徹子の部屋」である俳優さんが出ていた時、「上手に捨てながら今までやって来られたのですね。」という言葉があったそうです。そんな生き方はむずかしいな~くらいで僕達の話は終わったのですが、その言葉が少し心に引っかかりこの曲が生まれました。もう人生も半分過ぎてしまった。今までの生き方を肯定しながら生きるにはどうしたらいいんだろう?ということがテーマです。アル スチュワートの「Year of The Cat」のアラン パーソンの幻想的なアレンジがイメージにあったのですが、少しムリがありましたか・・・。
GRAPEFRUIT MOON「HOW LONG」
2005年3月、マザーシップスタジオでリズム録りから始まったレコーディング。その日は3曲の録音の予定でしたが、思うようにうまくいかず、メンバー一同気まずい雰囲気の中、結局1曲しか録ることができませんでした。それが象徴するようにレコーディングはかなりの苦労の連続でありました。メンバーのスケジュール調整はもちろんのこと、個人的には「群発性頭痛」の発症で1ヶ月半の中断、そのあとボーカルが上ずりっぱなし(僕は441HZ病と言っていました)になったりと、実に11月まで8ヶ月もかかってしまいました。今回のアルバムは僕とメンバーの執念(または怨念)の結晶です。
楽曲解説
1.虹 (2000)
虹は太陽とほぼ反対側に出現します。光の方へ進んで振り返ると虹が見えるという状況をイメージしてつくりました。世の中は絶えず流れてゆく。僕のまわりも例外でなく、また僕自身もそうでなくてはならない。古き良き時代の弱さへの決別をメッセージとして込めた曲です。ちなみに「同じ夢追いかけた歌唄いも~」のくだりは、僕の友人が「俺のことか~!?」と怒っているみたいですけれど決してそうではないです。また、ジャクソン ブラウンの2002年のアルバム「THE NAKED RIDE HOME」の中に「About My Imagination」という曲があるのですが、出だしがよく似てます。でも僕のほうが1年以上早く作っていましたから盗作ではないですよ~。
2.孤独の旅路 (2000)
とらえどころのない歌詞です。
一見、悲観的でなげやりなラブソングですが、どんなに絶望してもまだ僕は生きてるよ、命まではとられることはない、ということを言いたかったというところがあります。まあ今の日本では精神的、物理的にどんなに苦しんでも生きてる限りチャンスはあるということでしょうか。曲タイトルは最後まで思い浮かばなかったので、ニール ヤングの「Heart of Gold」の日本での曲名を拝借しました。サウンド的な特徴としてはこのアルバムで唯一ピアノでなくグラビネットの音を使用しています。サビのコーラス、単純なようですが高い方のパートは意外とむずかしいんですよ。
3.HOW LONG(2002)
別名「木屋町朝の歌」。最近、朝までやっているBarが何軒かあります。朝方まで飲んでいる人は大抵Barのスタッフ、ホステスさん、フリーターの売れないミュージシャンなどサラリーマンのように一般的なレールに乗らなかった、または乗りそこなった濃いめの人たちです。木屋町から河原町通へ出て御池通を西へ歩いていると出勤途中の人々に出会います。自分自身、朝日が背中に照りつけて全身溶けそうになりながら、玉手箱を開けたような状態になっていることに気づいてしまいますが、「まあ自分で選んだ道だから仕方ないや。」、こう思いながら家に帰るのです。
4.夕暮れの丘(1995)
僕の祖父は結構エライ人だったのですが、僕にはやさしく、よく遊びに連れて行ってもらいました。その中でも大文字山は何度も行ったのでよく憶えています。中腹くらいに砂防ダムがあり、そこでカニを獲って遊んだあと、見晴らしのいい展望スポットへ行くのがお決まりのコースでした。
蛇足ですが僕の名前、「邦夫」は、僕が生まれた時、祖父がちょうど海外視察旅行というやつに行っていたそうで、その滞在国だった「ソビエト連邦」から邦をとったらしい。もしイギリスにいる時なら「英夫」?アメリカなら「米夫」?フランスなら「佛夫」?これはいやだな・・・。
5.ひとりの夜に(2003)
木屋町で知り合った二十歳の青年がいました。彼はひょうきんでいつもその場のムードメーカーとなっていました。僕のライブにもよく来てくれて「MY HOME TOWN」をよく口ずさんでくれていました。彼が亡くなってすぐの2003年4月28日、僕はジャクソン ブラウンのコンサートのために大阪へ行きました。かなり早く着いたのでフェスティバルホール周辺をうろついたあと、夕日が差し込む中ノ島公園のベンチに座って一息ついた時、この曲を思いついたのでした。
6.いつかはきっと(2001)
GFMにはリフのある曲がなかったのでそんな曲を作ってみようと思いました。ブルース ホンズビーのデジタル的なサウンドに触発されて作ってみたのですが、ほとんど原型をとどめていません。ここではとってもアナログです。歌詞の出だしは暴力的な雰囲気がありますが、結局サビに来ていい人になってしまってます。最後の河原田氏のギターソロはほとんどオールマンブラザースバンドです。
7.途方に暮れて(2003)
一言で言うと軟弱な男のラブソング。前作、「ムーンライトララバイ」に通じるものがありますが、ただこの恋は成就することはないでしょう。サウンド的にはキャロルキングの「Jazz Man」のようなベタな8ビートで考えていたのですが、ベースの長谷川氏がことごとくハネ系のベースを弾くので、雰囲気ががらっと変わってしまいました。最初は少々不満でしたが、いまではこれもアリかなと思っています。
8.風の歌(2004)
知人が言ったことですが、TV番組「徹子の部屋」である俳優さんが出ていた時、「上手に捨てながら今までやって来られたのですね。」という言葉があったそうです。そんな生き方はむずかしいな~くらいで僕達の話は終わったのですが、その言葉が少し心に引っかかりこの曲が生まれました。もう人生も半分過ぎてしまった。今までの生き方を肯定しながら生きるにはどうしたらいいんだろう?ということがテーマです。アル スチュワートの「Year of The Cat」のアラン パーソンの幻想的なアレンジがイメージにあったのですが、少しムリがありましたか・・・。